上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
私が初めて福岡ドームに行ったのはいつだっただろう?
とりあえず古いチケットを探してみました。
一番古いのは↓でした。

20051121224104.jpg


う~ん、ドーム元年はそういえば行かなかったな。あまりの弱さに、行く気がしなかったのだろうか?

しかし、私はきっとこの人をナマで見たかったに違いない。
この年の監督はあの根本隆夫監督で、その根本監督が3対3のトレードで西武ライオンズから引っ張ってきた

『秋山幸二』

である。
当時、投打の要であった村田と佐々木を放出して、秋山一人を取りに行った感があった。ホークスファンは「大丈夫かよ?」と思ったに違いない。私もそう思った一人でした。

しかし、その後 秋山選手がホークスにもたらしたものは今更説明の必要も無いと思う。あのトレードがホークスにとって、失敗だったという人はいないだろう。

もっとも私は8月21日の観戦で印象的だったのは、阿波野投手と佐野投手が並んで歩いてた事なんですけどね。(笑) それぐらいホークスの試合にはインパクトがありませんでした。それに私は近鉄の観戦が結構多い。やはり忘れられない球団です。

しかし、秋山選手が来たからと言って、急にチームが強くなる訳ではありません。ホークスは相変わらず弱いままでした。1986年5月9日には日生球場で近鉄に敗れたホークスのバスに生卵がぶつけられるという事件が起こりました。この頃監督は王監督に変わっていたのですが、球場にも「タノムカラヤメテクレ王」の横断幕があげられたり、「やる気がないならやめちまえっ!」の大合唱が起こる始末。連日ニュースで取り上げられるほどの異常事態でした。

城島選手が入団した当初もベンチで暴れたり、弱いチームを象徴するようなまとまりの無さでした。

95年には同じく西武から『工藤公康』もFAで入団していたのだが、秋山・工藤がその力を発揮するのはもう少し待たなければなりませんでした。

ホークスは某球団のように確かにお金をつぎ込んで来た。しかし、無駄遣いはしていない。必要な選手を大きな犠牲を払って取ったのだ。しかも秋山は九州出身。地元に根付く為にはどうしても地元出身のスターは必要不可欠だと思う。現在の4番の松中も九州出身。
そういう意味では、『英雄・秋山』の獲得は現在のホークスの原点となったのではないだろうか?

そして次回はいよいよホークス優勝の時を書きたい。
実はこの試合は今でもビデオで持っているのです。
スポンサーサイト
私は九州に来てから、ナマでプロ野球を見る機会が無かった。
しかし、1988年大阪の名門 南海ホークスが大手スーパーのダイエーに球団を譲渡。
ここに

『福岡ダイエー・ホークス』

が誕生する。(初代監督は杉浦忠監督)
そして翌1989年1月19日JALのチャーター機で

『鷹が福岡に舞い降りた!!』

ライオンズが福岡から去って10年、福岡にプロ野球チームが帰って来た。
開幕シリーズは日本ハムに負け越してしまう。

しかし、本拠地『平和台球場』の開幕戦は、元この球場の主であるライオンズだった。
福岡のファンの気持ちは複雑だったらしく、90年代前半私が見に行った西武戦は結構ライオンズのファンも多かった。ダイエーがまだ弱く、西武が強いせいもあったかも知れない。

ダイエー山内孝徳 西武工藤公康の投げ合いになりダイエーが2対1で勝利する。この時感激して泣いた山内孝ちゃんは、今も福岡のラジオ番組でがんばってます。

しかし、この頃のダイエーは弱かった。三宅一生デザインのユニホームが情けなく見えた。

そして私が平和台で初めて見た試合が1992年のダイエーVS近鉄であった。

日付けははっきり覚えていない。なぜ1992年だけ覚えているかと言うと、当時のダイエーの若手エース 村田勝喜が開幕から5試合連続完投勝利していた試合の次の試合。つまり6連続が懸かった試合だったからである。
平和台にはそのポスターが沢山貼ってあった。
そしてなんと近鉄の先発投手はあの『野茂英雄!!』
結果から言うと、この試合で村田は破れ連勝は5でストップしてしまう。
あまりにも昔の話で細かいところまでは覚えていない。

ただ、平和台球場がプロ野球の球場にしては思ったより狭かった事、大型ビジョンが不似合いだった事、佐々木誠選手がファインプレーをした事を鮮明に覚えている。

この頃のホークスはまだまだ弱かった。
でも平和台球場は好きな球場だった。93年に本拠地が福岡ドームに移り、その役目を終えるが大阪球場や西宮球場、藤井寺、日生などのように寂しい終わり方ではなかった様に思う。かつての栄光(西鉄時代)、挫折(球団が去る)。そして再び栄光(ダイエー時代)を取り戻してその役目を終えた。人間で言えば波乱万丈の人生でその成功者ではないだろうか?

今私はパ・リーグでは日本ハムと楽天にがんばって欲しいと思っている。特に日ハムなどはダイエーがいい例になるのではないだろうか?

先日行われた日本シリーズでもロッテの本拠地マリンスタジアムでも阪神ファンは半分はいた。しかし、福岡ではどのチーム相手でもそんな事は起こらない。かつてはパ・リーグの西武戦でさえライオンズファンが沢山いた。しかし、今の福岡にはホークスでないとだめなのだ。

今の日ハムはもし日本シリーズに出ても、相手が巨人なら半分は巨人ファンが占めるのではないだろうか?
いつの日かどのチームが来ても北海道の試合はファイターズファンが占めるようになって欲しい。そしてそういう球団が増える事を願っている。全国区でなくてもいい、その場所で愛される球団であれば。
今のホークスを見ているとつくづくそう思う。
1度球団を失う事を経験したこの街は2度と球団を失う事はしないだろう。

ホークスの事はじっくり書きたいと思っていました。
次回は初の福岡ドーム観戦記を書きたいと思います。
私はプロ野球が大好きである。
いい選手、いい試合だとチームを問わず応援したくなる。
しかし、どこのチームのファンかと問われたら、

『福岡ソフトバンク・ホークス』

と答えます。
今現在、私は九州に在住している。しかし、ホークスは昔から好きなのです。幼い頃大阪に住んでいた私は大阪球場で行われたホークス戦が、人生初めての野球観戦だと思うのです。もう試合の内容などの記憶はありません。しかし、あの難波の一等地に建てられたあの球場の雰囲気と、外野スタンドはぐ~んとせり上がっていて上の方で転んだら、下まで転げ落ちそうなほど急だった記憶があります。

1989年に南海がダイエーに球団を譲渡した時、私はすごく衝撃を受けました。そして、ホームチームを失った大阪球場もその役目を終えようとしていました。

大人になってその思い出の大阪球場を訪ねた時はもう野球場ではなく、住宅展示場になっていました。それでも中に入り、外野スタンドに登ってみるとなんだかものすごく球場が小さく感じられました。そこからホームベース方向を眺めていると、なんだか淋しい気持ちになりました。

その大阪球場も1998年に解体が始まり、一時スコアボードだけが残っていたそうですが、今はそれも解体されてしまったようです。

この頃の南海ホークスは弱小チームでした。そして、ダイエーになってからもその苦難の道は続きます。

そして、大人になって初めて自分の給料で観戦に行った試合が、平和台球場で行われた。『ダイエーVS近鉄』でした。

この事は次回の記事で触れたいと思います。
この企画の幻の第1回である。

10.19と言う日付けを聞くとオールドファンなら、誰でもすぐに思い出すであろうあの試合。
私を一気にプロ野球へと引き付けた試合である。
私が野球に目覚めた頃、順意表には『太平洋クラブ・ライオンズ』の名前があった事は覚えている。
しかし試合内容は、あまり記憶にない。その後も断片的な記憶はあるが、はっきりと思い出せる試合のこれが一番最初ではないだろうか?



1988年、8月頃には1位 西武と2位 近鉄のゲーム差は8ゲームあった。
しかし近鉄はその後あれよあれよという間に差を詰め川崎球場でのロッテとのダブルヘッダーに2連勝すれば、すでに日程を終了している西武を抜き8年ぶりの優勝を飾るところまで来ていた。
対戦相手のロッテはここまで近鉄に8連敗しており、最下位も決定していた事から、近鉄の優勝確率は高いと思われた。

私はこの頃九州に住んでおり、まだ少年だった。当然リアルタイムでTV観戦する事など不可能だった。ラジオも当然無し。今よりパ・リーグが冷遇されていた時代である。私は前日までの成績は知っていたが、結果は夜のニュースを待つしかなかった。

しかし、川崎球場は満員だったようである。ほとんど近鉄ファンだったようだ。

まず第1試合から激戦となった。先発は近鉄・小野、ロッテ・小川だった。故 鈴木貴久さんのHRや村上嵩幸らの活躍、そして最後は阿波野をストッパーに送り、第1試合は4対3で辛くも近鉄が勝利した。
ダブルヘッダーの第1試合は規定により、延長が無い!もし引き分けていたら、勝率で西武に届かなかった。近鉄は最後のチャンスをものにした。


そして、運命の第2試合が始まる。先発は近鉄・高柳、ロッテ・園川だった。第1試合以上の激戦となったこの試合は、7回で3対1と近鉄リード。勝利の女神は近鉄に微笑んだと思われた。しかし、同点に追いつかれ8回にまた近鉄が1点を勝ち越す。ここで近鉄はまたも阿波野を送り込んだ。エースを送り込む万全の態勢。しかし悲劇が起こった。高沢の同点ホームラン!まさに悪夢だった。

そして9回裏!古川のアウトを巡り、有藤監督が猛講義!!試合は9分間中断される。当時の規定で4時間を越えると延長は新しいイニングに入らない。近鉄ファンは試合の再開を願った。この事には賛否両論あると思うが、有藤監督はこの事で男を下げたと思われる。

延長10回!時間的に近鉄の最後の攻撃であった。しかし点を奪う事は出来なかった。近鉄ナインは勝利も何の希望も無い最後の守りに付かなくてはならなかった。

私はこの模様を当日の夜のニュースで知った。確か『プロ野球ニュース』だったと思う。まだ子供だった私は夜更かしして、注意されたが目をそらす事は出来なかった。

『阿波野投手が泣いている!!』

他にも多くの選手が泣いていた。ただ、私は阿波野投手の涙が妙に記憶に残っている。

近鉄バファローズは敗れなかった・・・。しかし、優勝には届かなかった。その頃西武球場では試合の無かった西武の選手たちによる胴上げが行われていた。今回ちょっと見つからなかったのだが、私はその資料を持っていたのだ。今でこそ試合が無くてもファンが詰め掛けるが、なんとも淋しい胴上げであった。パ・リーグの人気の低さが伺える写真だった。

そして、実はこの試合。本来は放送予定が無かったのだが、あまりの熱戦にテレビ朝日が英断を下し、ドラマを中断して午後9時からCM無しで放送したらしい。しかもかなりの高視聴率を取ったと言われている。
この事でやくみつるさんが4コマ漫画でNHKを批判していた。その時間NHKは牛の生態を放送していたが、牛はその時大変だったの?と
まあこれは冗談でしょうが・・・。



この年近鉄は優勝を逃した。だが次の年近鉄は雪辱を果たし、パ・リーグを制覇する。しかし、日本シリーズではあの加藤 哲朗で有名になった3連勝4連敗でまたも日本一を逃してしまった。12球団で近鉄だけが日本一が無いのだ。
私はそれ以来、いつか近鉄が日本一になる日を夢見ていた。
しかし、それは永遠に叶わない夢となってしまった。

だから、私はどうしてもオリックスを応援する気になれない・・・。
それは私の感情の問題だとは分かっていてもだ・・・。
もちろん、吉井、水口、北川など好きな選手はいる。しかし、オリックスと言う球団を応援出来ないのだ。

私が見てきた夢を奪ったという気持ちが強すぎる。
逆恨みかもしれない。仕方が無いことなのかもしれない。

しかし、この気持ちだけは自分自身ではどうする事も出来ないのだ。


追記ですけど、タイトルの「近鉄バファローズは敗れず」と言うのはこの年のニュースステーションか何かの特番のタイトルでした。
ちょっと引用させて頂きました。
今回から新しい企画を始めてみた。
自分の野球の思い出を、資料や本で得た知識ではなくリアルタイムで体験した事、その時のニュースなどで感じた事を書いていきたい。

もっと早く書きたかったのだが、タイトルをどうしようか迷ってしまった。その結果 パ・リーグの連盟歌である

『白いボールのファンタジー』を拝借させてもらった。

実は第1回は、野球ファンなら覚えているであろう、1988・10・19の事を書きたかったのだが、私がいつも読ませていただいている「プロ野球狂の詩」さんが、予告先発について記事にしておられた。それについて私も思う所があったので、第1回は「松坂大輔 大阪初登場」にさせて頂いた。

1999年 この時私は大阪に住んでいた。
そしてこの年、あの怪物ルーキー「松坂大輔」が西武ライオンズに入団していたのである。
そしてこの年の4月7日松坂は東京ドームの日本ハム戦で、初登板・初勝利を達成していた。

この頃はまだ予告先発は無く、誰がいつ投げるのか分からなかった。
しかし私はどうしても、1度ナマで松坂を見たかった。そこで私は日程を調べたのだが、一番早い大阪ドームでの『近鉄×西武』はゴールデンウィーク中だったのだ。
もうチケットは発売されている。のんびりは出来ない。でも3連戦のどこで松坂は投げるんだ?さすがに全部は行けないぞ?私は近鉄ファン(野球狂)の友人と予定日を予想した。

「間違いない!松坂は5月3日に大阪ドームで投げる!!」

私は慌ててぴあでチケットを入手した。2週間以上前だったと思うが、ゴールデンウィーク中だけにいい席はもう結構売れていた。
しかし何とか↓のチケットを入手した。


20051106202823.jpg


そして1999・5・3(月)
私は友人と大阪ドームにいた。

「ただ今より両チームのスターティングラインナップ及び、バッテリーを発表します。西武ライオンズ ピッチャー 松坂大輔・・・」


ドワアァァァァァァ!!!

アナウンスは
「キャッチャー伊東、近鉄バファローズ ピッチャー高村、キャッチャー的山」
と続いていたのだが、もうそんな声は聞こえない。
先発予想は一週間ぐらい前には新聞でも予想されていた。しかし、それ以前に予想をし、ずばり的中した事と、そのおかげで松坂を見れた事で私たちはすでに興奮していた。

松坂が第1球を投げる。ものすごいフラッシュの嵐!大阪ドームが一瞬光ったと思ったほどだ!松坂は投げにくく感じたのか第2球を投げない。
フラッシュはご遠慮下さいとのアナウンスが流れる。

試合は近鉄3番の中村紀洋が初回にレフトスタンドにHRを叩き込み、松坂は入団後初のノックアウトを食らう事になる。(確か5回ぐらいで降板)
しかし、その後西武が逆転し、5対4で西武が勝利した。
余談だが、この時逆転打を打たれた香田勲男投手は私の高校の先輩だったりする。(年は離れてますが・・・)

友人は近鉄ファンと言えどもそこは野球狂!松坂が打たれても高村の不安定さも指摘し、その後の投手リレーを議論しながら観戦した。

予告先発・プレーオフなど、確かにあまり野球を見ない人には親切なシステムかもしれない。しかし、興味の無い先発同士なら客も球場に足を運ばないだろうし、プレーオフにしても1位通過チームのファンはたまったものではない。ソフトバンクファンは今年でかなりシラけてしまったのではないだろうか?
コアな野球ファンだけでなく、普通の人も楽しめるようにするのももちろん大切だが、コアなファンが離れてしまうシステムでは意味が無い!
パ・リーグはセ・リーグに比べて確かに努力をしてきた。
もちろんそれは認めるし、がんばって欲しい。
でももう少し考えて欲しいのも事実。
野球は本来もっと奥が深いものなのだ。それを踏まえたうえで、新規ファンにも楽しんでもらえるシステムを考えるべきではないだろうか・・・。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。